back to nature

2017年2月から約2年間で世界一周をします。旅で見たこと感じたことを自由に書いていこうと思います。ほぼ自己満足な記録ではありますが、自身の旅の経験が少しでも誰かの役に立てれば幸いです。

17カ国目、ジョージア(グルジア)🇬🇪

アゼルバイジャン・バクーからバスでジョージアとの国境のQırmızı Körpü(読み方不明)にやって来ました。

 

このまま歩いて国境を越えます。

 

問題なくジョージア入国です。

それどころかゆるゆるイミグレでした。

 

イミグレを出たら直ぐの所でアゼルバイジャンマナト→ジョージアラリへ交換します。

 

そして[マルシュルートカ]という乗り合いバンに乗ってトビリシへ。

 

この運転手が本当感じ悪い奴で街の中心部から4キロ離れたなんとも微妙な所で乗っていた僕含め4人全員降ろされました。

 

皆んな運転手に文句言ってたので本来の降車場所じゃないと思う。

 

頑なな運転手はまるで子供のように前を向いて聞こえないフリをかまし僕らを無視した。

 

だめだ。

このおっさんと話をしても無駄。

 

諦めて宿まで歩きます。

4キロ〜🚶‍♂️🚶‍♂️🚶‍♂️🚶‍♂️。。。

 

 

泊まった宿は一泊300円くらいでハイクオリティ。

部屋が若干寒いくらいで、すごく満足できる宿。

 

ここだけじゃなくてどこの安宿も外れはないみたい。聞いた話だと。

 

ジョージアは東南アジアに匹敵する程の物価の安い国です。

バックパッカーがウダウダするにはもってこい。

 

 

そして食事が美味しいことで有名です。

これ大切なことですね。

 

 

焼きたてパンの中心にチーズ・バター・生卵が入ったハチャプリとジョージアビール合わせてたったの11ラリ(≒480円)。

ビール飲んだ後、ワインを飲もうと思ったけどハチャプリのボリュームがあり過ぎて断念しました。これでスモールサイズですよ。。。

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ジョージアはハマムという日本の銭湯的なのにも行ってきました。

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海外では珍しい(と思う)全裸スタイルです。シャワーの代わりに天井から温泉水がジョロジョロと流れてるのでそこで洗い、湯船へGO。

 

湯加減もちょうど良く日本の銭湯を思い出しました。硫黄の臭いが結構キツイかな。いい湯でした。♨️♨️♨️

 

 

あとは丘に登って景色を眺めたり、

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現代美術館へ行ったり。

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アゼルバイジャンに続き、街がお洒落だったなぁ。

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人も穏やかな性格の人が多いように感じた。

 

 

 

こんな感じ。

トビリシ好きだぁ!!

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16カ国目、アゼルバイジャン🇦🇿

アクタウからは飛行機でアゼルバイジャン・バクーへ。

 

フェリーという選択肢もあったけど、不定期らしいので迷わず飛行機を選んだ。

 

価格もほとんど変わりなし!

ただフェリーの方がロマンがあるけども。

 

 

飛行機は深夜の便でたったの1時間。

 

ということは深夜着なので朝まで空港泊をした。

 

空港からはシャトルバスが出ていて、それで市内に移動する。

 

 

車中、外に見える景色は意外にも高層ビルやモダンな建物などが沢山建っていた。

何より全体的に綺麗な印象を持ち、ヨーロッパに近づいている実感が湧いた。

 

近ずいているという表現をしたのは、ここアゼルバイジャンもまた旧ソ連の構成国なのだ。

 

お洒落な雰囲気を感じさせつつ、旧ソの寂しげな雰囲気の建物も残っている。

 

 

バクーといえばF1が有名で、

シーズンになると旧市街の一般道がコースと化する。

というか、普段からそのままコース感がある。

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旧市街をぶらつく。

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土産屋だらけだった。

 

 

旧市街から少し離れた所にあるヘイダル・アリエフセンター。

あの新横浜競技場の最初の案だった人がデザインした建物です。博物館や美術館などが入っていて興味あったけど入場料が約1000円だったのでやめました。

 

建物はイケてる!

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更に離れた所に、60年近く燃え続けてる山があるというので行ってみます。

 

バスで1時間くらいだったかな?

 

目の当たりにして驚きました。

 

 

「小っさ!!」って。

 

 

こちら。

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横から。

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1950年代に羊飼いの吸ったタバコが自発する天然ガスに引火して燃え続けているとのこと。

 

 

ただのボヤですね💁‍♂️

 

 

でも不思議と満足感がありました✨

 

 

アゼルバイジャンは綺麗だし地下鉄もあるし物価も安いしで住みたい街だなと思いました。

 

あと猫がかわいいし!

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良い日、アクタウ

アルマトイシムケント→アクタウ。

 

シムケントでは2泊。特に見所はないけど、ここで止まったのには訳があって、シムケント→アクタウ間は約50時間の移動になるので心の準備をしたかったのです。

 

長い!

なんてったって2日もかかるからね!

 

一応シムケントの写真。

 

掲げてますねぇ。

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アルマトイ に比べて大分暖かいが零下。

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話は列車に戻りまして、、、

 

カザフスタン寝台列車はインド列車に比べ快適なのです。綺麗だし。

なんと布団付き〜。

 

車両にはお湯が出るタンクもあるのでカップラーメンやインスタントコーヒーを持参しました。

 

お菓子も購入。

オレオと見せかけてレオ〜。

中身違う〜。

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50時間という長い時間は周りと謎の一体感が生まれ、仲良くなったりなんてことも。

 

しかしカザフ人は英語が話せる人が少なく、彼らとは基本Google翻訳アプリで会話ですが。

 

なので難しい会話は難しく、とっても浅い話のみ。笑

 

 

丸2日かけて、アクタウ到着。

 

僕の席の隣にいた2人組のカザフ人から嬉しいお誘いが!

 

なななんとっ!

家に招待してくれるというのです🙄✨

 

ありがたい展開です!!

これぞ旅の醍醐味でしょう!!

(日本人として謙虚さは保ちつつ!!) 

 

 

セリク(中央)とメベル(右)。

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彼らにはそれぞれ家族を持っていて同じ家に住んでいます。

 

そこにこの山賊みたいな風貌の日本人がお邪魔しました。

 

メベルの2歳の子はぎゃん泣き。。。

 

彼らと彼の友達(名前忘れた&途中で合流)は僕をアクタウのスポットに連れてってくれました。

 

先ずはカスピ海

 

写真では分かりづらいけど結構綺麗な青色の海です。

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僕はカスピ海ダァーってなってるのでテンション上がってますが、

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彼らは見慣れ過ぎてこんな感じ。笑

当然か。

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極寒なので水遊びするわけもなく、20分くらいで飽きました。

 

次どこに連れてってくれるのかと思ったらまさかの中サイズのショッピングモール!笑

 

「アクタウは何にもないからさぁ〜。」って言ってて、「そうだね!」とは言えないから、「カスピ海ヨーグルトあるじゃん!」って言ったら「何それ?」って感じでした。笑

 

カスピ海を渡ったアゼルバイジャンで有名なのかな??

 

まぁ良いけど!

 

モールではお礼にソフトクリームを皆んなにご馳走しました!

 

家へ帰るとご馳走が!

 

 

 

遡ること数時間前・・・。

 

 

シャシリク以外何もカザフ料理を食べてなかったため、半分話の話題になればと彼らにおススメ料理尋ねていた。

 

そこで返ってきた答えが「ベシュバルマク」。

 

(まさかの写真撮ってないというミスを犯したため、Googleから拝借しました。) 

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ベシュバルマクは馬肉ときしめんのような柔らかい麺がメインの料理で、めちゃくちゃ美味かった!

 

 

ちなみにこれがシャシリク

シャシリクはロシアこの旧ソ連の構成國だったらどこでも食べられる。ビーフ

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相変わらず会話はGoogle翻訳でしたが盛り上がった(^^)

 

その後、親戚の家へ移動。

そこでも食事!!

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余所者に対して、とても親切にしてくれて本当に本当嬉しかった。

家にも泊めてくれました(*_*)✨

 

いつか日本に行きたいと言っていたので、その時は精一杯お返しをしたいです。

 

カザフスタン人はとても情が熱い国民性を持っているそんな印象を持ちました!

 

 

 

カザフスタン最終日の素敵な出会いに感謝です。

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寒すぎてアルマトイ

第二の都市アルマトイの気温は-27℃あります。

(因みに首都アスタナは-40℃。。。)

 

寒すぎて外出るのを躊躇してしまいます。

 

宿は部屋だけでなく建物全体がヒーターで暖まっていて快適。

キッチン完備で自炊出来ます。

 

驚いたのはこの超ローシーズンに日本人の青年がいたこと。

 

北海道の最北端に住むケント君。

寒さには免疫があるらしい。

 

彼もまた貧乏旅行者です。

 

折角キッチンがあるので僕らは貧乏旅行者らしく、スーパーで野菜を購入して日本から持ってきた『ほんだし』で野菜スープを作りました。

当たり前ですが日本の味。

やっぱり心が落ち着きますねぇ。

 

物価はというと、日本の半分以下ぐらいかな。宿も一泊500円なのでこんな感じでぬくぬくだらだらしてました。

 

3日目。

これではいかん、何もしとらんではないか。

と、僕らは立ち上がり、Googleで見つけた素敵な場所に行くことに。

綺麗な池とモスクが見えるマイナーなところ。

 

バスを乗り継いで約1時間半。

 

 

ちーん。

 

池が凍って雪積もってるぅ〜。

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これはこれで綺麗だけど、雪がない方が綺麗です。

 

やっぱり来るなら夏だなって二人で再度認識し合いました。

 

感動半減のこれ見て帰るのはなんか嫌だったので、「28人のパンフィロフ戦士像」を見に行くことに。

 

第二次世界大戦で戦死した国の英雄です。でも物語はかなり誇張されて作られてるらしい。。。

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これにて観光終了!

 

本当はアルマトイの南に位置するビッグアルマトイレイクが本命でしたが、山なので行ったら凍死するでしょう!

そんな死に方したところで像は作ってもらえないでしょう!

 

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いつかまた夏に訪れたいです。

15カ国目、カザフスタン🇰🇿極寒-27℃

15時のフライトですが、12時に空港へやってきました。

 

世界一周者は持ってる人は多いのかな?

世界中のラウンジの使えるプライオリティパス!

詳しくはいろんな人が情報アップしてるのでそちらを〜✋

 

 

昨夜、肌寒い気温だったのに水シャワーしか出なくて浴びるのをやめました。

 

何故ならラウンジでシャワー浴びれるから〜!

飯やドリンクも楽しめます。

勿論アルコールもあります。

 

そんな魅力いっぱいのラウンジに行かないわけにはいかない。(?)

 

そんな欲望をちょっと面に出しながらチェックインカウンターへ行きます。

 

 

 

はい、遅延でましたー。

 

 

一瞬にして早く来た意味なし!笑

 

 

結果フライトは18時になり、チェックインも3時間前の15時から受け付けてくれたのでラウンジでゆっくりすることになりました。

 

バックパッカーは野菜不足になりがちなのでサラダを食べまくります。

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18時にカザフスタンへ向けて飛びたちました。

 

暫くすると、機内食ぅ〜( ͡° ͜ʖ ͡°)笑

 

さっき食べたばかり。

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エアインディアのチケットを購入したのですが、乗客が少なかったのかエアアスタナへ合併された結果、他の乗客と同様に機内食が付いてきました。

 

時間を十分にとってラウンジで飯食えた時に限って機内食でてくるあるある。

勿論エネルギーなので当然全部食べますよぉ〜。

 

その他ノベルティも。

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20時アルマトイ 到着。

 

飛行機と空港は繋がれてないパターンでバス移動のアレです。

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外出た瞬間凍りつきました。

 

-27℃!!!!!!!

 

インド・デリーの気温20℃!!

 

その差47℃ぉ〜〜(゚∀゚)!!

 

 

この想像を絶する寒さはインドでぬくぬく生活していた僕にとっては耐えられない。(いろんな意味で)

 

 

あまりの寒さに、甘え中の甘えであるタクシーを即捕前て、予約していた宿へ向かったのでした。

インドでやり残したこと、それは歯医者。

ボーパールからデリーへやってきました。

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インドもここが最終地点。

 

3カ月程いたからカレーも食べ尽くしたしたでしょう。インド特有のごったになった雰囲気も十分に味わい尽くしましたでしょう!

 

しかし、僕にはやり残したことが一つあった。

 

・・・歯医者さぁ〜ん。

 

バンガロールにいるあたりから何か歯に違和感があるんです。

 

歯の治療は加入している海外旅行保険では適用外なので、日本を出国する前に全部見てもらってから来たのに。。。

 

自慢じゃないですが小学校卒業してから出発まで虫歯なし!その他の問題もなし!

 

だけどここに来て、違和感。

あと1年程帰らない予定なので、何処かで行かなければいけなくなりました。

 

違和感あるまま純粋に旅は楽しめぬ!

 

そこで、これからヨーロッパ方面へ向かうということもあって、インドで治療するのが一番安くコストを抑えられそうだなという単純な理由です。

 

デリーならネットで探せばまともな歯医者さんあるでしょう!

 

はい、ありました!(たぶん)

デリー・デンタルセンター!!

 

そのまま!!笑

 

デリーの泊まった宿で日本人の男性と出会い、その方はここに来るために日本から来ています。(そしてついでに観光!)

 

その方の熱心な説明が僕がそこに決めた後押しとなったのです!!

 

今更ですが誰がこの記事見て得するんだって感じですが、僕のデリーでの出来事なのでご勘弁を!

 

 

建物はかなーり綺麗。

最近の日本の歯医者さんと変わりなし。

 

それだけで安心感が得られます。

 

院長はガンジー先生。

アメリカの大学を卒業されているエリートです。もうその時点で完全に身を委ねてましたよね。

物腰のやさしい丁寧な方です。

 

倒れる座椅子の前にモニターがあって、撮ったレントゲン写真が3D的な映像で出て来ましたよ。

 

治療の手際もささっと!

削って埋めて〜。終了!

 

原因は虫歯になりかけの箇所が2箇所。

早めの治療だったから良かったらしいです。

 

ありがとうございます。僕も3Dのモニター見れて良かったです( ͡° ͜ʖ ͡°)

 

それに埋めたところの噛み合わせを何度も調整してくれやところにプロの仕事を感じました。

 

そう考えると、日本で僕が通ってた歯医者はボロかったし治療が痛かった気がするな。。。子供だったからそう感じたのか?

 

どちらにせよ歯科治療の技術ははるかに進んでいたのです!

 

僕が言いたいのはそういうこと!

 

違うか。笑

 

 

芸能人と長期旅行者は歯が命ですよ〜✋

 

治療費が7000円くらいかかったけど仕方ない出費ですね。

 

因みに町医者は山ほどあって、宿であった男性曰く、恐ろしい治療だって。。。

糸を歯に括って一本釣り的な。

虫歯になったら即抜く習慣があるらしいです。

 

インド旅はこれにて終了🇮🇳

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カザフスタンへ飛びます!

久々の飛行機楽しみだなぁ。

悲劇のユニオン・カーバイド事故

ムンバイからボーパールへやってきました。

 

1984年12月3日に史上最悪の産業事故と言われる有毒ガスの流出事故がありました。

 

ここボーパールに、殺虫剤を生産しているアメリカのユニオン・カーバイド社のインド子会社工場跡地があります。

 

遺体を川へ投げ捨てられたりと正確な被害者数は分かっておらず、2万人以上とも言われています。

 

30年以上経過した今も地中には汚染物質が数千トン放置されたまま。

この地に3万人以上が暮らしているらしいです。

 

原因は安全基準を無視したコストカット。

後悔するのはいつだってことが起きてからというのが悲しいですね。

 

この悲惨な現場を自身の目で確認すべく行ってきました。

 

かなり大きな敷地です。

工場周りには塀で囲まれていたのですが、所々穴が空けられていました。

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穴をくぐると建物があります。

中はもぬけの殻で何の建物かは分からず。

ただ事故の背景を思うと背筋が凍ります。

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当然ここは立ち入り禁止っぽいのですが、敷地内にある建物の一画で生活している人もいて、複雑な気持ちになります。

インドを旅していると、こんなところで暮らさなければならない事情が溢れているのを肌で感じてしまいます。

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草木が生い茂ったところに工場らしき建物を発見しました。

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二階には部屋。中はガラスの破片が飛び散っていました。

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話は戻りますが、

当然この事故に対して訴訟が起こりましたが判決が以下。

当時のインド子会社幹部は禁錮2年。その後日本円換算で約19万円の保釈金で保釈。

被害に遭われた遺族一家に対しての賠償金は日本円換算で約24万円。

 

判決の甘さに驚愕です。

 

アメリカユニオン・カーバイドのCEOは一度も裁判に出廷することなく、あくまでもインド子会社が起こした為、他人事な感じ。現在は亡くなっているが当時はニューヨークの高級住宅街で優々と暮らしていた。

 

とても悔しいですがここに住む住民はもっと悔しいでしょう。

 

世界でニュースにもなったこの記憶が徐々に忘れ去れれていく中で、今も尚、様々な理由で移住出来ない人々がこの地で必死に生きている。

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