悲劇のユニオン・カーバイド事故
ムンバイからボーパールへやってきました。
1984年12月3日に史上最悪の産業事故と言われる有毒ガスの流出事故がありました。
ここボーパールに、殺虫剤を生産しているアメリカのユニオン・カーバイド社のインド子会社工場跡地があります。
遺体を川へ投げ捨てられたりと正確な被害者数は分かっておらず、2万人以上とも言われています。
30年以上経過した今も地中には汚染物質が数千トン放置されたまま。
この地に3万人以上が暮らしているらしいです。
原因は安全基準を無視したコストカット。
後悔するのはいつだってことが起きてからというのが悲しいですね。
この悲惨な現場を自身の目で確認すべく行ってきました。
かなり大きな敷地です。
工場周りには塀で囲まれていたのですが、所々穴が空けられていました。
穴をくぐると建物があります。
中はもぬけの殻で何の建物かは分からず。
ただ事故の背景を思うと背筋が凍ります。
当然ここは立ち入り禁止っぽいのですが、敷地内にある建物の一画で生活している人もいて、複雑な気持ちになります。
インドを旅していると、こんなところで暮らさなければならない事情が溢れているのを肌で感じてしまいます。
草木が生い茂ったところに工場らしき建物を発見しました。
二階には部屋。中はガラスの破片が飛び散っていました。
話は戻りますが、
当然この事故に対して訴訟が起こりましたが判決が以下。
当時のインド子会社幹部は禁錮2年。その後日本円換算で約19万円の保釈金で保釈。
被害に遭われた遺族一家に対しての賠償金は日本円換算で約24万円。
判決の甘さに驚愕です。
アメリカユニオン・カーバイドのCEOは一度も裁判に出廷することなく、あくまでもインド子会社が起こした為、他人事な感じ。現在は亡くなっているが当時はニューヨークの高級住宅街で優々と暮らしていた。
とても悔しいですがここに住む住民はもっと悔しいでしょう。
世界でニュースにもなったこの記憶が徐々に忘れ去れれていく中で、今も尚、様々な理由で移住出来ない人々がこの地で必死に生きている。
インドって広い
実は既にインドに飽きてます。
早く次の目的地であるカザフスタンへ行きたくて仕方ないのです。
しかし大都市のバンガロールやムンバイの空港からカザフスタンへ飛ぶと高くつくため、一番チケット代が安くつくデリーに最安の列車で目指しているわけです。
他の国の殆どは夜行列車やバスに乗ってしまえば翌朝には端から端とまでは言わないが移動できるけど
インドの場合列車に乗りっぱなしでも3日以上はかかる。
前回の日記に「落ち着く」と書いたけど、3日以上乗りっぱなしでその感情が続くわけないのです。無理でしょ。
そうなると、ちょくちょく町に滞在するしかないのです。そこに興味を引かれなくても。笑
ハンピを出発してフバリ→ムンバイと移動してきました。
それぞれ1日ずつ滞在。
その都度列車の手配や宿探しでせかせかするけど仕方ない。
何故ならカザフスタンが僕を待っている。。。
ムンバイのタージマハルホテル前にて。
笑っているけど心ここにあらず。
今が熱い!?ハンピ
約一カ月間過ごしたバンガロールともお別れです。
思えば勉強しかしてなかったなぁ。
人生であれほど集中して勉強したことは数えるほどしかないなぁ。
一カ月ぶりの列車に乗りハンピへ向かいます。
不思議とインドの列車が落ち着くと感じるのは何故でしょう。
ハンピに到着しました。
正確に言えば、ホスペットという町に到着するのですが、ハンピへはそこからバスで向かいます。
ですが、ここ最近(いつかはわかりませんが)の情報でハンピにある宿やレストランがほとんど閉鎖してしまったという話を聞いていたため、宿はホスペットで探しました。
やはり観光客が訪れる地。
安宿探しには苦労しました。
やっとの思いで300ルピー(≒510円)の宿を見つけました。
名前は忘れてしまいましたが、駅を出て真っ直ぐ15分くらい歩いて、その道沿いの右手に3階建の建物です。
まぁまぁボロいですが、安さには変えられません。
荷物を置いて早速バスでハンピへ。
30分くらいだったかな。
いかにもな遺跡群って感じの黄土色の風景が目に飛び込んできます。
異世界です。
でもその割に観光客が少ないです。
どの少ない観光客の中のほとんどがインド人でした。
噂ではこの先、観光スポットとして盛り上げていくようで入域許可証なども必要になるとか。
確かに一部にフェンスが設置されて、工事も進んでいました。
バスを降り、群がる物売りやオートリクシャーを振り払いずんずん進んで行きます。
そして目の前に広がるのが、、、。
おぉ・・・。
そいえば遺跡に興味が無くなってしまったことを忘れてたわ。
現地に着いてからそんなことを思ったわけですが、心の中で「デリーに向かう途中の町だしねっ」って感じで正当化しつつ、他の箇所も一応見て回ります。
遺跡好きの人には堪らんくらいの数がここにはあります。
ただ僕が写真を撮ってないだけです。笑
猿が掘られてるのはヒンドゥの神ハヌマーンかな?
ガネーシャ像。
僕が遺跡よりもインパクトがあると感じたのは岩のデカさ。
自然の力強さを感じますね。
階段を上りきればこの景色。
うん、人がおらんなぁ。
そしてハンピは暑い。
当然ながら遮蔽物が無いため日光が直で当たり半袖短パンスタイルでも汗かきまくりです。
猿にコーラの飲みかけをあげたらボトルをしっかりと掴んで一気飲みしていました。
猿もこの暑さには参っています。
バンガロールは1000Mの高地だったため暑くもなく寒くもなくで過ごしやすかったなぁ。
その後はホスペットでゆったり2日間を過ごしました。
明けましておめでとう御座います。
バンガロール滞在1ヶ月が経ちます。
ここでは英語学習をしておりました。
平日5日間、毎日2時間学校に通いました。
旅を始めて上達してるような気はしますが基礎がないため最近は低迷中。
もう一度、英語の初級からやり直しました。
学校が終わったら図書館で復習。
こんな感じで1ヶ月継続できたことに自分でも驚きです。。。
半分思いつきで学校に通い始めた部分はありましたが、今まで真剣に勉強したことがない自分にとってこの習慣がついたことは大きな収穫でした。
人それぞれスイッチの入るタイミングが違うんだなと感じました。
これっきりにならないよう継続したいです。
再びインド。(結構省略。)
いよいよネパールを出国です。
ビザの有効期限ギリギリ最後の日までいました。ネパールはそれ程、好きになった国なのです。
次来るなら3ヶ月ビザだなぁ。。。
次に向かうは、
再びインド。
ネパールの東側から出ます。
国境となっている橋を歩いて渡ります。
僕のインドビザは6ヶ月のマルチプル。
期間内であれば国を出入り出来るのでイミグレもすんなりと通過できました。
イミグレを出たところでバスに乗り込みシリグリを目指します。
バスは1時間弱で到着。
翌日コルカタに向かうため駅近くで宿を探すも外国人お断りパターンにハマってしまい、2時間程歩き回りました。
シリグリ行く方、大変なので覚悟して下さい。。。
ここからガッツリ省略して書きます。笑
シリグリ→コルカタ(2度目)。
コルカタ→ブバネーシュワル。
ブバネーシュワル→ヴィシャーカパトナム。
ヴィシャーカパトナム→チェンナイ。
これらは全てインドの東海岸沿いにある町です。
僕は山も好きですが海も好きなのです。
しかし、海もビーチもゴミだらけ。
更にインド人はビーチ=トイレみたいな感覚をお持ちの様なので残念です。
全然旅は関係ないですが、映画を2本観ました。
・DCコミック【ジャスティスリーグ】
・マーベル【マイティソー・ラグナロク】
アメコミが好きすぎる!
これらの両方を3Dで観たのに一本500円くらい🕶✨✨
実はこれまでの旅でもちょくちょく観ています。
アジアだと日本の1/3くらいで観れるので映画小僧としては嬉しいです。
ここ最近、観光らしい観光してないなぁ。。。笑
ダージリン?いや、イラムティーでしょう
あまりにもブログを放置しまくってしまいました。
理由は気が乗らなかったのと、ネットの環境が悪かったのと、そして、気が乗らなかったのです。
カトマンズの後はヒレ、ダーラン、イタリ、ビルタモッドと滞在してきました。
そして特に書くこともないので、飛ばしてしまいますね。
では何故観光スポットがない町もしくは村にわざわざ泊まるのか。
それは僕が何もしなくても苦に感じない性分だからです。
チャイを飲みながら目の前を行き交う人たちをぼーっとしながら見るのが好きなんです。
あと散歩をするだけでも楽しいですね。
まぁそれらの話はさて置き、
ネパールでナンバーワンの紅茶の生産量を誇るイラムへやって参りました。
因みにインドで一番はダージリン。
ダージリンは十数キロしか離れていないお隣さん。
なのでイラムティーとダージリンティーの味は一緒らしい。
でもダージリンティーの方が圧倒的に知名度が高いのでグラムあたりの値段は高いのです。
衝撃的なことを聞きました。
世界中に輸出されるダージリンティーは100%ダージリンで採れた茶葉を使っていない説。
生産が追いつかないのか何なのか分かりませんがカサ増しで他の茶葉もミックスされているとのこと。
日本で売られてるダージリンティーも怪しいですよ。ショーー〜ック。
そんな事実を知ってしまったので、真面目にやってる(と思う)イラムにやってきました。
美しい茶畑が360度に広がっています。
人々も素朴で良い味出てます。
もちろん紅茶を飲みました。
実際美味しかったのですが、他のものが混ざっていたとしても美味しいと言ってしまうのが僕です。冒頭でこれだけ紅茶について語ったのに、紅茶よりコーヒー派の私は完全素人です。
そして、ここでもまた3日間ぼーっとしながら茶畑に夕日が沈むのを眺めてたのでした。
首都カトマンズ
バンディプルからドゥムレへ一旦戻り、そこからバスでカトマンズへ向かった。
路が狭いのにスピードを出しまくっていたので恐怖だった。
途中で見かけた他のバスが道路の脇の溝に脱輪していた。。。
安宿が集まるタメル地区から2キロ弱離れた所でバスから降ろされた。
砂埃が酷く、歩く人の半分以上が布で口周りを覆っている。
他の旅人から聞いてた通り、ここは雑多な街だ。
東南アジアの首都は大体こんなもの。
夕方頃に宿にチェックイン。
その日は適当に食事を済まし寝た。
翌日、カトマンズを脱出する為のバスチケットを買いに行った。
出発は次の日。
こうもやる事がないと食に走るしかない。
ということで、
モモが有名なエベレストモモセンター。
10個で80ルピー(90円)で安くて美味い。大繁盛だった。
そしてもう一軒。
(店の名前忘れちゃったし、写真も撮ってない。笑)
カトマンズは世界一日本食が美味しいと評判の街なだけあってクオリティも高く、ダシの具合が絶妙で美味しかった。
これだけでもカトマンズに来た甲斐があったかな🤭?笑
あとは土産物屋やトレッキング用品を扱う店ばかりで興味は惹かれなかった。
これにてカトマンズ終了〜👋