第一次世界大戦の引き金の地
ここでもモスタル同様、民族紛争跡が見られました。
この通りの名前、スナイパー通り。
広い通りのため、狙いを定めやすく、動く全てを銃殺していたらしい。恐ろしい。
今は大型のショッピングモールがあったり、綺麗なビルも立ち並んでます。
この黄色い建物は、紛争状態でどこの店も営業ストップせざる得ない状況の中、ジャーナルのために開けていたホリディ・イン。
町のいたるところに墓地。
これらは民族紛争跡ですが、それよりももっと前の1914年に第一次世界大戦の引き金となった橋があります。
ラテン橋。
オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子が当時自国領だったサラエボを視察中にボスニア系セルビア人の青年によって射殺されて、世界大戦へと突入しました。
複数犯で、その後は死刑・終身刑。
そして世界大戦後に服役したメンバーの中の2人はサラエボ博物館の学芸員や大学教授を務めたらしいです。
え?これすごくない?
話は変わりまして、
恒例化しつつある丘の上からのビュー。
と、可愛い猫。
ボスニア・ヘルツェゴビナ濃かったなぁ。。。