ゲストハウスで働きます🏃
列車でコルカタからバラナシにやって参りました。
バラナシといえばヒンドゥー教の一大聖地としてインド国内外から多くの観光客が訪れる場所。
町はかの有名なガンジス川沿いに位置し、沐浴はしないけどただ聖地を拝みたかったという理由でここに来たのです。
先ずはバラナシ駅からオートリキシャーで東の方へ向かいます。
リキシャーを降りて少し大通りを進み、迷路のような狭い道に入りどんどん進んで行きます。
あちこちに水牛が道を塞いでいたりしますが飛び越えたりして進みます。
そして到着〜。
コルカタでも滞在したサンタナゲストハウスのバラナシ支店です。
チェックインを済ませ、荷物を置いてその辺の飯屋でカレーを食べます(やっぱり。笑)。
そこで大勢のインド人に囲まれ話しかけられます。昨日からの列車で加減の知らないエアコンに喉をやられていた僕は相手にするのが辛いしめんどくさくなり、サクッと食べて(でもナンはモッチリ)宿に戻ってしまいました。
宿のベッドでごろごろ。
早速だめだめモードです。
少し仮眠を取り、
ある決意を胸にレセプションへ。
「スタッフとて1ヶ月間働かせて下さい。」
実はコルカタで宿のスタッフを勧められていてどうするか考え中でした。
やる気スイッチが丁度良いタイミングで入ったので名乗り出ました。
ということで、バラナシ滞在初日からバラナシの事を何も知らないNewスタッフが誕生したのでした🎉✨
ガンジス川がどっち方向なのかも正確に知りませぬ。笑
一ヶ月という短い期間ですが、働きながら少しずつバラナシの事を勉強していきまーす🤚!!
カルカッタ改めコルカタ
タイトルにある「カルカッタ」は昔イギリスに統治されてた時代に呼ばれてた名前です。でも今は「コルカタ」。
マイナーチェンジってところです。笑
インドのイミグレからは3時間程でコルカタに到着。
着いたのは23:30頃。
予定では15時間の移動だった筈が結果24時間もかかっていた。。。
バスはニューマーケットと呼ばれているエリアで止まった。
イミグレで一緒だったタンビルとサダットとは一旦お別れ。
コルカタ滞在中に飯に行く約束をした。
予約はしてないが予めチェックしておいた【サンタナゲストハウス】に向かった。
ここはインド国内に4店舗ある有名な日本人宿です。
時間が遅くても人はたくさん歩いているのは暑い国ならではでちょい夜型の生活なのです。
お隣の国バングラもインドも、
朝飯は9〜10時頃
昼飯は14〜15時頃
夜飯は22〜23時頃
と、ちょい遅いのです。
(田舎はもうちょい早い。)
※自分調べ。
歩くこと15分。
無事宿に到着。
笑顔で日本人スタッフが迎えてくれた。
壁には日本語で書かれた張り紙がたくさんあり、心がほっとする感じがした。
外国では日本での生活と同じように過ごせばあっという間に騙されてしまう。
それがお金だけなら百歩譲ってOKだとしても、命に関わる事件に巻き込まれる場合も身近に存在するので気が抜けない。
そんな中、旅をする人にとって日本人宿というのは身体を休めるだけではなく、心も休ませることが出来る特別な場所なんだと実感した。
朝は食パンとスープとチャイが無料。
長テーブルを日本人7人で囲んで談笑しながら食べるのも久々で良かった。
コルカタは意外と“街”で驚いた。
バングラから来たからかもしれないけど。笑
インドらしさを感じれそうなヴィクトリア記念堂へ向かったがチケットオフィスがかなり混んでいて、昨日のイミグレを想像してしまったため早々に諦めました🤦♂️
なので外から写真。
至る所で道にヤギ使いが歩いていて車を止めていました。笑
タクシーがクラシックでポンコツ感があってカッコいい。
ユニバやTDLにありそうなフォルムです。日本に輸入して乗り回したい😍✨
その他、興味の沸くスポットは無かったので3日間の滞在の内2日間はバングラコンビと過ごした。
道端で2人の友達(バングラ人)と偶然会い、コルカタイチ美味しいと言われるビリヤニを一緒に食べに行くも全然美味しくなかった。。。彼らは美味しいと言ってたけど。。。
米が麺みたいでゴムっぽい。
カレーの味にちょっと飽きてきたのでマックでマハラジャマック🍔
基本、食べ歩きがメインになってしまい、食べてはチャイ飲んでの繰り返しでした。笑
因みにインドでは陶器?でできた器は使い捨てです。もったいない😳
そしてメインイベントであるムスリムの祭「Durga Puja」へ繰り出します。
人多しっ!!
ヒンドゥーの神が祀られています。
三大神のブラフマー・ヴィシュヌ・シヴァが有名ですがその他にも無数に存在するようです。
手動のアトラクション。
ポンコツである意味怖いような。
こんな感じのお祭りでした。
正直どの部分が楽しめるのかわからなかったけど皆んなと過ごせたのは楽しかったです。
あとラッシー美味しかったなぁ😍
最後皆んなで写真撮ったけど、何故か携帯に残ってなかったです。。。
バングラから仲良くしてくれた
タンビル&サダットありがとう✨
またバングラで〜👋
13カ国、インド🇮🇳国境で6時間足留め💦
すっかり復活した僕はダイレクトでバス乗り場へ向かった。
次に向かうはインド🇮🇳
予めネットでダッカ→コルカタ(インド)のチケットを購入していた。
(正確に言うと、入院したことによって一枚は無駄になり新たに購入した。)
なんとなく予想はしていたけど、21時発のバスは23:30に変更になった。
移動時間は15時間と聞いているので到着は15時頃。特に問題なし👌
バスはエアコン&リクライニングシート付き。快適な眠りにつけた。
目が覚めたのは朝の8時頃。
バスはエンジンを切って止まっていた。
到着予定時間よりも全然早いのでおかしいと思って窓の外を覗いてみると、そこはフェリーの上、つまり海上。
と見せかけて、河です。
かの有名なガンジス川です。
フェリーを降りてから
3時間程走り、バングラ&インドの国境へ到着しました。
先ず、溢れんばかりの人!人!人!
先ずは
出国審査、、、10分程で終了〜問題なし🙆♂️✨
お次は、
バングラとインドの境目のあるゲートヘ向かいます。
そこで衝撃①
何故か柵が引かれていて一箇所のみタテ100cm×ヨコ60cm程の通用口があり、
そこに向かって、約400人もの人間が押し合いながら我れ先にと言わんばかりに押し寄せています。。。列を作って並ぼうという考えは皆無。
列を作ればもっとスムーズに進むのにとは思いながらも、そんなこと言っていたら僕も永遠に出国出来ないのでその波に向かうしか道はないのです。。。
まさに負のサイクルですね(°_°)
このゲートをただくぐるだけに掛かった時間
↓
なんと、
3時間!!!!!
ありえん。。。
まだバングラの敷地から出ただけです。
次に向かうは入国審査。
今度は一列にしっかりと並んでいる。
(何故さっきは無かったのか不思議でしょうがない。笑)
ただ人が多い事に変わりはないので列は何度もカーブしていて恐ろしく長かった。。
ここで衝撃②
ここにいるのは主にバングラ人。彼らはおしゃべりが大好きだ。
前が進んでもそれに気付かずにずっと話している。
そこに出来たスペースに平気で割り込んでくる輩がひとりふたりどころでは無く沢山いること。
列のカーブ部分に急に並ぶ奴もいる。
言い訳としては「最後尾だと思っていた」だ。これも多数。
あとは理由もなく、
ストレートに「前へ入れてくれ」と頼み込んでくる奴もいた。これは少数。笑
こんな事で足留めを喰らう。
そのため、
こっちの人は基本列を作る時のスタイルとして、
前後の人間が5cm位の間隔でピタッと並び、手は前の人の肩に置くというスタイルがある。空いてる時は不要だが混雑時には横入り対策に有効だと思った。
ただ弱点があって、それは暑い。
でもそれ以上に早くここを突破したくて僕も手を置き、そして置かれた。笑
東南アジア全体によくある事だか、入国スタンプを押す審査官の仕事がスーパー遅い。
こんなに時間がかかるのはそれが根本であった。
ここで更に2時間。
無事に入国審査を終え、コルカタ(インド)へ向かうバスが発車するまでに1時間半程待った。
そのバスの出発を待つ間、今回の入国審査で共に手を取り、闘ったバングラ人の男戦士らと入国祝いにインドスイーツを食べた。
こうして、
異例の6時間のイミグレーション越えを体験したのでした。
因みにいつもこうなのかとバングラ人の2人に聞くと、今はコルカタで祭りをやっているから混んでいるだけと答えた。
祭かぁ。
こんなにバングラ人が殺到するぐらいだからさぞ盛大なんだろうなぁ。
期待を膨らませながらコルカタへ向かいました。
人生初入院。しかもダッカって。
明後日のインド出発に向けてワクワクしています。
今日はもしもビザ受取りが遅くなったら、、、の為の余裕日でしたが昨日受け取ったので今となってはただの消化日なのです。
既にダッカはあちこち回っているので、行きたいところも特になし。
昼頃まで寝てました。
ダラダラと起きて、歯を磨き、顔を洗う。
そして鏡を見る。
ん!!!!!!?
左眼の白目部分充血。。。
右目は普通。
痛くも痒くも無いが、素人の目からしても異常なのは見てわかった。
またまた山形ダッカフレンドシップ病院(以下、YDFH)に行くことに。
診察の途中で左耳のもみあげ部分に大きなシコリがあることに気付いた。
全然気にしていなかったけど、珍しくニキビが鼻の左下部分にできている。
「バイ菌が入って顔の左側に炎症が起こっているねぇ。」
先生は眼科が専門ではないけど、点眼薬と飲み薬で治るでしょうと言いそれらを処方してもらった。
翌日の経過をまた電話で連絡するように言われた。
そして翌日。
変わらず。
むしろ悪化しているようにも思えた。
電話で現状を伝え、再度病院へ。
眼科を紹介されて、YDFHのスタッフが付き添ってくれた。
眼科の先生は別の飲み薬と点眼薬と眼球の表面に塗る軟膏を処方してくれた。
はっきりとした原因が分からないということで一週間後にまた来てと言われた。
あ、明日からインド〜。
その旨を伝えると、眼だからしっかりと治療しなさいと強めに言われました。
そして再びYDFHに戻り、入院決定。
人生初の入院生活がスタートした。
とはいえ、前述したように痛みも痒みも無いので僕自身はベッドで寝ているだけです。
僕が普段泊まっている宿よりもはるかにグレードの高い部屋で快適さはヤバかった(о´∀`о)✨
とはいえ、外出は当然NGなので退屈ではあった。
唯一の楽しみは、ごはんの時間。
ここでは病院飯というのは存在しないので、スタッフが外で買ってきてくれるのだ✨入院中に辛いカレーやハンバーガーなどを食べていた。笑
唯一の楽しみである"ごはんの時間"の中の最上級の楽しみが、日本人スタッフの小林さんが作ってくれる日本食!!
小林さんは週三回、出勤されるので約1/3は日本食を食べた✨
本当に美味しくて箸が止まらなかった😭笑
たまにお菓子の差し入れもしてくれて嬉しかった。
そして夜就寝時間になるとやってくる軟膏タイム。
これを塗られると視界が全く見えなくなるので眠たくなくても強制的にその日が終了するのです。笑
眼も徐々に治りかけた頃、今度は39.5℃の高熱と酷い咳にやられて点滴をすることになった。
この頃には薬の数が増えすぎてナースもわけわかんなくなってしまったのか、液状の咳止め薬と間違えて、うがい液を僕に飲むように渡してきたこともあった。笑
入院中にバングラのビザも切れてしまった。この場合は病院側から書類を発行して貰えばビザセンターで簡単に延長が可能でした。
そして入院から10日後に退院することが出来た。
すっかり回復してまた旅を再開することが出来るのもここの先生やスタッフのお陰です。
特に小林さんは休みの日にわざわざ電話をしてきて下さり、困ったことはないか等を気遣ってくれました。
彼女は日本に僕より少し歳上の息子さんがいて、僕をまるで自分の息子のように接していたというお言葉を聞いた時は本当にありがたい気持ちで一杯でした。
旅の報告をしますので待っていて下さいね。
ありがとうございました😊
こうして僕の初の入院生活は良い思い出ばかり残りました。
旅の再開です。
インドビザの申請から受取り
ダッカに戻って来ました。
至る所でクラクションが鳴り響いています。⚡️⚡️⚡️
あるところに行かなければいけません。
インド大使館です。
3日後にインドへ向かうため、チッタゴンへ向かう前に申請をしていて受取りを待っていました。
このインドビザの申請が少し面倒なのでこれから申請される方の為に少しメモを残します。
他国のビザ申請よりも記入箇所がおおいのと、記入内容を厳しくチェックされます。
申請はオンラインで入力し、プリントアウトをして持っていきます。
写真は正方形の特殊な形なので近くの写真屋さんで撮ってもらいましょう。
パソコンでオンラインフォームにも写真をペーストしないといけないのでサイズ調整が必要となります。
僕はパソコンスキルは皆無なので写真のサイズ調整のところで必ずつまづくこと請け合いです。
そんなパソコン音痴の人はインド大使館のあるグルシャン1のエリアにあるビザフォームの入力代行屋さんにお願いしましょう!
幾つか店はあり、値段はバラバラですがマーケットの中にある店では500タカで入力してくれます。
後は大使館に持っていくだけ。
受け取りまでは一週間。
無事6ヶ月のインドビザを取得しました!!
後は近くのノースエンドコーヒーでコーヒーとシナモンロールを堪能して帰るだけ!!
インドビザの申請ヒントでした。
ローカルの実家へお邪魔しました。
チッタゴンの次に向かったのはクミッラという町。
ここを目指す理由は、ダッカで知り合った23歳の青年ローニーの実家へ招待してもらったからです。
ローニーとは、ダッカの路上で知り合いました。やる事が無く、路上でチョコアイスバーを食べていたところ、彼の方から声を掛けてくれました。
彼は自営でダッカに電気工具のお店を構えていて、英語も話せる。
中流くらいの育ちの良さを感じたので、怪しさはあまり感じなかった。
ご飯を食べたり、一人暮らしの家に遊びに行ったりした。
彼の田舎へ帰省する日と僕のスケジュールのタイミングが合ったのでクミッラ行くことにしたのです。
ローニーとは現地待ち合わせ。
しかもクミッラの中心からかなり離れていて、
チッタゴンからクミッラ行きのルートの途中で下車するという外国人にとってはハードルが高いミッションを課せられた。
「大体途中下車って出来るの?
携帯に送られてきた、降りる場所をスクリーンショットした画像を見る限り、ハイウェイ上だし。笑」
とローニーに聞くと大丈夫大丈夫と言う。
ローニーの事を疑っているわけではないけど、この短い期間の滞在でバングラ人の"大丈夫"は大丈夫じゃないことの方が多かった。特に道案内なんかはひどい。。。
でも本人が言うんだからそうなんだろうと信じるしかないと思っていたら本当に降りることが出来た。
ハイウェイ上に!笑
しばらくしてローニーが単車で迎えに来てくれて、実家へ向かった。
辺りはのんびりとした風景。
雑多なダッカに数日前までいた僕にとってここはバングラデシュを感じさせない風景だった。
ローニーの家では、お母さんと妹と弟と弟の友達2人が笑顔で迎えてくれた。
家の中を撮るのは控えたので写真はないんですが、昼・夕・朝と家庭料理を振舞ってくれた。ダッカで食べた飯とは比べ物にならない程に美味しくて驚かされた。
外を歩いているとローニーの知り合いに会い、僕の事を紹介してくれて特別に果物を刈らせてもらった。
左からライム、パパイヤ、2つあるのはグアバ、紫色をしたものはなんとバナナができる前の実の部分。
グアバはジュース(ピンク色っぽい)しか知らないので切って衝撃だった。
なんと白。食感は水分のないリンゴ。
何と言っても、想像すら出来ないのがバナナができる前の実の部分。
説明されても意味がよく分からなかった。笑
後でネットで調べたらなるほどね〜って感じでした。
※Googleから画像をお借りしました。
この紫の部分から僕らの知っている形状のバナナがニョキニョキ出てくるらしです。
それは食べれるというので、カットしてもらいました。
最初これくらいあったサイズが、、、
こんなに小さく!
さぞかし旨味が詰まっているんだろうなぁ〜と思ってカブりつくと、
まぁ不味いったらありゃしない( ͡° ͜ʖ ͡°)
不味いって事を知ることが出来たので良かったです。
その他にサトウキビも刈ってチューチューしました。
彼らには貴重な体験をさせて頂きました✨
一泊させてもらいダッカに戻りました。
追記
僕は、このローニーの実家にある村に来た外国人第一号だそうです。(彼曰く)
チッタゴン
ダッカからバスで6時間。
チッタゴンへとやって来ました。
チッタゴンといえば、
世界一長いビーチであるコックスバザールが有名です。
(正確に言えば、チッタゴンからバスで1時間くらいなのかな?南下します。)
コックスバザールを見に来たわけですが、雨が酷い☔️。。。
ってことで行ってません!!
大雨の中行く程ではないという判断です。
他に見所といえば、
船の解体場でしょうか。
しかし興味はないのでスルー。
ですが一応説明すると、
日本の使わなくなった大型船はわざわざコックスバザールまで運んで来て、解体されます。
その理由は、日本で解体するとコストが高くなってしまう事が挙げられます。
単純に人件費については当然ですが、
でもその他に、船内に残ったオイルの処理があります。きっちりと行わなければ海の汚染に繋がってしまうので、この行程にコストがかかるようです。
しかし、実際のバングラでの解体現場は酷いらしいです。
なんとキチンとしたオイルの処理はされておらず、垂れ流しなんだとか。
これは大きなニュースにもなりました。
その後、解体現場は見えないような工夫がされているようですが、賄賂を少し渡す事で内緒で見学できるそうです。
そういうのを聞くと、低コストを強いられているが故にそこまで手が回っていない様な背景が目に浮かびます。
この問題は闇が深そうです。
行ってもいないトコについてズラズラ書きました。笑
実際に僕が行ったところといえば近くにあった恐ろしく大荒れのビーチと町を散歩したぐらい。
街並みはダッカの混沌とした感じを少し緩和した様なイメージでしょうか。
でも汚さはダッカと変わりません。
コックスバザールに行かない場合のチッタゴンの印象は特にありませんが、ここで食べたストリートフードに妙にハマりました。そして超安い。
油で揚げた米とホクホクのジャガイモとキュウリと豆を混ぜたもの。カレー風味。
10タカ(≒14円)
これもまた油で揚げた米とネギとキュウリが混ざったスナック菓子風のもの。香辛料がかなり効いてて口がヒリヒリする。20タカ(≒30円)
勿論バングラデシュ国内何処でも食べられるビリヤーニ等もあるけどそれよりも上の2つが僕のお気に入り。
雨が酷いと気力が一切湧かない。
チッタゴンを後にした。